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RPGツクールでエターナルを回避する!!

こんにちわ!yatsureです。




自分派?他人派?

RPGツクールだけではなく、これは創作活動全般に言える事なんですが、
そもそも何かを作ろうとした時の動機によって、対策が違うんじゃないか、というアプローチです。
自分が作りたいと思う作品の基準がどこにあるか、というお話で、
善し悪しの基準、とも言えますね。
まずはこの辺りから語りたいと思います。

自分派については単純ですね。
自分が良いと思う、作りたいと思うもの=>作品
と言った図式で、特に問題ないかとは思います。

他人派とは何でしょうか。
これは僕の中にある考えなのですが、例えば中二病なんかがわかりやすいです。
自分が良いと思った事が、客観的に見ると全然良くないという例ですね。
服のコーディネートとか、髪型とか、アクセサリーの身につけ方とか、話し方とか、
そう言った事柄で「実はダサかった」経験ありませんか?
当然、創作品にも同じ現象が起こります。
なので、センスの良い人達は、その時の流行なども含めて「他人の目」を潜在的に持っていると仮定しています。
他人の目と言っても、所詮自分の目ではありますが、つまり自分の目を如何に本物の他人の目にすり寄せられるか、
という感覚の鋭さの話にもなってきます。
とは言え、やりすぎると個性が無くなります♨︎
じゃあどないせいっちゅーんじゃって感じですが、そういう世界なんですよね

ところで貴方はどっち派?

どっちが良いかどうか、の話はこの際置いておきましょう。
ただ、貴方はどっちの方が良いと感じるか、という事の方が重要で
もしも自分派だった場合は、エターナル不可避というか、妥協点が見つからないのでエターナル場合はエターナリます(°∀°)すまん
エターナルと言うか、結局自分が主体なので
「自分の中にある100を100として世に出せないなら無価値」
だと、割と本気で思っていらっしゃる方だと思うんですよね。
それは非常に大切な美学なので、個人的にはその考えは大事にして頂きたいなぁ、と思います。
まぁ、本当に無価値で終わってしまうんですけどね。それの良し悪しはともかくとして。

他人派だったら何がちゃうねん、という話でありますが、他人派は妥協できるんですよね。
ただ結局、その妥協点を見極める感覚が甘いから、エターナルんです。
何故なら、自分というアウトプットが未熟で自分の中にある構想の1割にも満たないものしか作れないから。
残り90%の作業をやろうとするからエターナリます。

じゃあどうするれば良いのか、ですが、これは

自分のモチベーションがどこまで走れるかを見極める

これが必要になります。
例えば、RPGツクールでゲームを作るときに、これをやらないと次の作業が出来ない!
という、絶対に最初にやるべき作業があります。

マップ作成

ですね。
得てして自分派の方々はマップ作成で心の力の殆どを使い果たしているイメージがありますが、
冷静に考えればマップなんて最初の段階ではストーリー上必要な建物だけおいとけばそれで良いんですよね。
考えなきゃいけないのはマップの構成なんかじゃなくて、マップを作っている最中にそこで起こるイベントを想像してオブジェクトを生成する事と、そのマップで起こるイベントが本当に作れそうかどうか、についてを考えるべきなんですよ。
何枚かマップを作成していると、イベント内容があやふやになってきます。
それは、実際にはまだ作っていないイベントの上にイベントを空想するからなんですが、そうすると次第にイベント内容を強くイメージ出来ない状態に差し掛かります。そこが貴方の限界、走れる距離だと思って差し支えありません。

意外と少ない量だったりしますが、ご安心ください。いくらでもリメイク出来ますので。
人間、修正は得意なんですよね。ただ、0から1にするっていうのが非常に大変で。
なので、自分が走り切れそうな距離を設定して置いて、一旦走ってしまう事が大切です。
そうすると、続きを作る時に走り方がわかっているので少し楽になります。

そこで大事なのが「他人の目」で、じゃあこの距離の中でプレイヤーに「面白い」と思ってもらえるようにするにはどうしたら良いか、という事を考える事です。

ところで、私はフリーゲーム実況をしていた黒歴史があるのですが、その時の感想を述べると
感覚として序盤からつまらないゲームは即切りしておりました♨︎
寧ろ、実況だから少し長めにプレイしていた、と言っても過言はありません。

という様に、序盤がかなり大切で、プレイヤーに「続きはよ!」と思ってもらえる事が大事なんですね。
まぁ、かくいう私はそれに気がつくのがかなり遅くて、それを体現できたのは最後の作品くらいなもんなんですけど♨︎

なので、考えすぎるとエターナリますので、深く考えずに作っちゃうのが正解です。
それが、今の貴方の実力なのだと、自分を妥協する必要があります。
他人の目を使う場合、他人の目の感覚を養う必要があるんですが、それはつまり自分を客観視する、という事で
言ってしまえば自分の作品を観る、なんですよ。
ですので、自分の作品が無いと当然自分の作品を観る事が出来ないので、他人の目が養われずレベルが上がりません。

物の見方について2通りあります

悪い所を見つける見方
良い所を見つける見方

さて、問題です。
どちらの見方の方が良いでしょうか?

簡単でしたね。良い所を見つけましょう
これは、他人の作品を観るときも同じ様に観るべきです。
その良い所が、他の人と被る場合もあります。当たり前の感想もあります。
ですが、それで良いのです。良い所は良いのだから、取っておきましょう。
そして次は、「どうしたら良くなるか」で物を見ましょう。
「何が悪い」ではなく、「どうしたら良い」かで物事を考える必要があります。

世の中を見渡すとわかると思いますが、悪い物を排除しても良くなりません。これは現実です。
ではなく、良い所を増やしましょう。それは、ありふれた良さでも良いです。
良さと良さを掛け合わせると、必ずしも良いものが生まれるとは限りません。
ラーメンにケーキを入れた場合、ケーキ単体とどちらが人気か想像する意味ありますか?
ですが、オリジナルとは何かと何かを掛け合わせたもので出来ています。
そして、それが良いものだと判断するのは貴方で、その審美眼が必要なんです。

私は現在の私の審美眼が優れているとは全く思っていません。
だからこそ、思いついた「良いと思うもの」を量産して、答え合わせしていく必要があります。
ノベル風ポエムもそのうちの一つですね。

話がそれましたが、そうやって自分の中にある構想を短編に切り分けて、その中で面白さを表現して
それを発表して答え合わせする、と言う遊びに勤しみましょう(°∀°)
安心してください。発表したあと、しれっと修正してver1.0とかをタイトルに付け加えれば良いだけなので♨︎
マップだって、あとでどうとでもなります。
重要なのは、ゲーム投稿サイトに投稿する直前に訪れる「あれ、本当にこれで良いのか?」と言うスリルを味わうのと
投稿したあとにプレイしてみた時に「やっべこのイベントのセリフ変更したい!」と思った時の行動力とかね。
人の目に晒されていると言う事実は、とても自分を行動的にしてくれます。
投稿してない時とした後の修正箇所への気持ち、全然違いますよw
そうして作品は完成して行きます。




ご安心ください、私が過去一番人にプレイして頂いたゲームは、過去一番デバッグしなかったゲームですので
意外となんとかなります。後、結構酷い人は少ないです。みなさん丁寧にバグ報告してくださいます。

といったところで、エターナル現象についての考察は終わりです。
また明日とか!

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